顧みて...30年..


この仕事に就いてから、かれこれ30年になります
その間、多くのお客さんから、様々なことを教えていただきました
一人一人の顔を思い出しながら、学んだことを書き記してみます




人が旅をするということは、どのようなことなのでしょうか。


それは、或る意味で単なる“肉体と精神の移動”と云えるかもしれません。
単純な移動に彩を添えるものとして、
4つの要素を取り入れたならどのような旅になるかを考えてみます。


一つ目は、「解放の旅」です。
それは、自分の生活圏から離れたところで、自然と一体となることで自分をトコトン無にする旅です。
何も思わず、ひたすら時の流れに身を任せて、旅先の環境に同化する旅です。
用意するものは何も要りません。
五感を研ぎ澄まし、ただひたすら「ぼーっ」とすればいいのです。
それが、自分の生活環境に戻った時、
研ぎ澄まされた五感が、今を生き抜く知恵と勇気に変わっていることに気が付くのではないでしょうか。


二つ目が、「学問の旅」
これは、初めて訪れる旅先での発見に喜ぶ旅です。
それを目的としたお客さんに対応するため、或る程度の準備が必要となります。
当館の娯楽室正面に張り付けてある「鳴子遠足マップ」が、参考になります。
ここで大事なことは、お客さんに歩いてもらうということです。
更に大事なことがあります。
宿は、手とり足とり面倒見ることをせずに、
訪ねたいところを「そおっと覗いてみては如何ですか」というスタンスで対応することです。
鳴子には、こんなにもお宝が眠っているのですから。


三つ目が「健康の旅」
多くの人が、肉体的.精神的にぎりぎりのところに追い込まれている現代社会。
その二つの復元を叶えるために、
医療機関と連携した、健康を取り戻すための旅です。
これは、合併前の平成14年に鳴子温泉観光協会内に設立された温泉療養部会で実施していた温泉療養プランと云うもので、

基本構想.基本方針.基本計画.実施計画の4つの柱からなる、
鳴子を訪れるお客さんに健康を取り戻す環境の準備を通して、五地区の再生を最終到達点に見据えたものでした。
諸事情[合併による鳴子温泉分院の診療所化問題浮上.18年に実施された診療報酬引き下げに伴うリハビリの日数制限や成果主義導入]により、
19年には分院側から療養プランの廃止を申し渡され今に至っていますが、
未だ問い合わせがあり、残念なことに山形最上町の病院を紹介しているのが現状です。
端的に言えば、鳴子の温泉力の具現化とも云える事業です。



 4つ目が、「哲学の旅」
来し方を踏まえて、これからの自分を見つめ直す旅です。
或は、言い方を変えれば“あてどなく彷徨う旅”のようなもので、
旅先でのちょっとした触れ合いに自分を見つめ直す機会を用意できればいいということで、
川渡の祥雲寺で座禅会を数回実施した経緯があり、参加した皆さんが清々しい顔をしておりました。
その後で白糸の滝まで歩き、流れる水に自分を重ねたりするのも一興だと思います。



以上の提案に共通することは、予算が無くても出来るという点です。
また、共同でするもよし、個人でも展開可能ということです。
関係する施設や個人とのリンクを十分に張っておき、
常に最新の情報提供を心掛ければ、目的にあったお客さんの受け入れをどの宿でもいつでもできることです。
一昔前の湯治が盛んだったころは、以上のようなことは何処の宿でも無意識のうちに行っていたように思われます。



磁場ということがあります。
お客さんからすれば、あんな宿に行ってあんなことをしてみたいという思いがあります。
一方、宿にしても、こんなお客さんに来てもらい、こんなことで楽しんでほしいという思いがあります。
そうした双方の思いがこすれ合った時、
微かに気持ちが燻り始めて次第に大きくなり磁場が誕生していきます。
一昔前は、何処の温泉地でも歴史に彩られた磁場がありましたが、
時代の表層を漂う流行に奔走するあまり、イベント中心の事業に奔り、いつの間にか消えてしまいました。
磁場こそ地域の原点であり、理念そのもののようにさえ思えます。



私の宿は、昔ながらの湯治宿です。
湯治のお客さんから田んぼの仕事を教えて貰い、
「肩の痛いの何時になったら良くなるの」と毎日のように言われて療養プランを思いつき、
暗い目をした若者の旅する姿から座禅会を考案し、
知的好奇心を満たしたいお客さんの為に「鳴子遠足マップ」を用意しました。

考えてみれば、湯治の世界にこそ、グリーンツーリズムをはじめとしたすべての要素が備わっているように思えてなりません.....



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